>従って、潜在的な新しい可能性が顕在化して新しい現実と成るためには、古い殻を内側からこじ開け、私権の現実の中を突き抜けてゆく必要がある。(「超国家・超市場論28 新しい可能性が顕在化するとは、どういうことか?」35272)
なぜ、あえて内側からこじ開ける必要があるのか?外側から変えることができないのはなぜか?
なぜなら、現在の社会で万人が認める評価システムは市場だけであり、そこでの評価指標はお金しかなく、それ以外は存在しないからだ。
換言すれば、有閑、人収束、サークル・NPOが何ひとつ結実しなかったことが示すように、市場外でいくら価値のある活動を行ったとしても、社会的評価の遡上には乗らず、従って、社会システムを変える契機にはなり得ない。
従って、重要なのは、潜在思念の奥から立ち上がり、今まさに顕在化しつつある『必要か否か』の『判断の土俵』をいかに市場システムやお金とリンクさせ、評価の遡上に乗せるか?となる。
だから、『判断の土俵』に基づく『演場空間』である『認識形成サイト』を有料化する(=市場に乗せる)必要がある。
・・・市場やお金という古いフィールドの中で評価を得、勝っていくことで、モノの生産と金融においては既に死に体である市場を突き抜け、お金という指標を『人数』を測るサブ指標に変質させつつ、『認識力』を軸とした新たな『秩序化』『体制化』の可能性が開かれる。
(既に潜在思念レベルでは、誰もが『認識形成の場』を求めている以上、一旦有料化を契機に評価の遡上に乗りさえすれば、皆の『必要か否か』に基づく共認形成によって、『認識形成サイト』や、そこでの『答え』が勝っていくのは必然である。) |
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