ゲゼルの自由貨幣論の骨子は、貨幣制度の構造的欠陥である「権力手段としてのお金の特性」を無力化するために、その原因である貯蔵性と流動性のメリットを相殺するという発想にある。そのために手数料というコストをお金の中に組み入れる(マイナスの利子を課す)という点が非常にユニークな点だ。
@貯蔵性メリットの相殺
>現金としてのお金に手数料(運輸業における貨物車両の留置料に相当する)が課せられるのであれば、お金は市場に対する優位性を失い、交換手段としての奉仕的な機能だけを果たすことになる。
手数料を課せば、貯蔵のメリットがなくなり(むしろ通貨価値は目減りし)、誰もお金を貯め込もうとはしなくなる。だから、お金を持っているだけで権力を手に入れることはできなくなるというわけだが、おそらく、19世紀末と現代では時代状況が違うという点を考慮に入れる必要がある。
19世紀末は市場社会の隆盛期でかなり貧しい時代であったが、現代は貧困を克服した豊かな社会になった。人々にはたいして欲しいものはなく、基本的に金余りである。従って(手数料の程度にもよるが)多少の手数料では貯蓄過剰になり、貯蔵性はなくならないと予想される。(ゼロ金利で、口座の出し入れの手数料がかかるという現在の状態は、ゲゼルの前提に近いが、それでも日本の場合は貯蓄率は高い。)
これを打破する方法は、余ったお金は国庫(国家銀行、公的基金等)に貯金するという方法だろう。金貸しによる民民の金利を禁止し、国庫に貯金すれば手数料は免除する(目減りはしない)という方策をとれば、ゲゼルの意図した効果は挙げられるものと考えられる。(国庫に預けずに私蔵してたら目減りする。国家はみんなの貯金をみんなの役に立つ事業に使える。)
A流動性メリットの相殺
>循環が投機的な行為によって妨げられることがなくなれば、通貨の購買力が長期に渡って安定できるようになり、流通するお金の量を恒常的に物質量に適合させることが可能になるというのです。
通貨の購買力(物価)が長期に渡って安定するためには、投機的な行為を規制する必要があるが、おそらく、これは手数料を課すだけでは実現できない。現代では金余りなので、手数料を課せば課すほど、金持ちが手元に資金を寝かしておくことを嫌って、むしろ投機を助長させてしまう恐れがある。
これを打破するには、手数料云々ではなく、そもそもの金融規制の次元から方策を考える必要があるだろう。(買占め・売り惜しみ規制、ファンド規制や株式・債券の取引規制、税制等)
ゲゼルが提唱した当時と現代では、時代状況が違う点を考慮する必要はあるが、ゲゼルの貨幣論は貨幣制度の構造的欠陥を鋭く突いているという点では、現代にも生きるものがあると思う。政府紙幣の可能性と併せて研究してみる価値があるのではないだろうか。 |
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