>もう一度、我々の置かれた状況を貫く圧力をよく直視してみよう。
統合された「認識」の下、真っ当な教育社会を実現させる為に集まった一般の教員による集団が、現実にある教育界に蔓延っている難課題を突き破っていく起爆剤になる可能性は、十分にあり得る。
人と人が関わっていく以上、我々人間が共認動物である限り、教育は存在する。
教育は絶対死んではいけない。
>現在見られる全ての本源収束の道程がそうであるように、この基底的な『判断の土俵』やそれに基づく『演場空間』(とりわけその中核となる『認識形成の場』)は、潜在思念の奥から立ち上がって今まさに顕在化しようとする途上にある。全ては半顕在状態にあるとも云える。
他方、顕在世界は古い私権の現実で覆い尽くされ、しかもその私権の現実はとことん制度化され、体制化(≒専任分担化)されている。
学校体制を否定視しているだけでは、何も生産されない。
認識統合する活動を行い、現実直視をしている人々によって、現実を変えていける。
>今、必要なのは、この国家や市場を解体・再統合できる様な人々の結集であり、その為の『現実の場』の結実である。
今こそ、身の回りの仲間たちを集結させ、『現実の場』を結実させてみようと思った。
できそうなことから始めていく。0.1mmでも最先端の可能性に近づいていけばいい。 |
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