>そして『認識』は、それが当り前のものと成れば成るほど、絶対的な共認圧力と成って末端まで貫通した統合機能を獲得する。
しかし、普通の言葉がそうである様に、当り前になるほどその圧力は意識されなくなり、従って活力源としての機能が弱くなってゆく。逆に、新しい認識は、(最先端の外圧に対応する)最強の活力源となるが、末端にまで共認されない限り、万人の統合機能たり得ない。(31767)
ここで挙げられている、「当たり前だけど、当たり前すぎて活力にはならない認識」の事例をみんなで考えてみた。
それでようやく出てきたのが、これ。
『働かざるもの、食うべからず』
…私権規範としても、もっと深い潜在思念レベルの規範としてもしっくりくるはずのこの言葉。でも、だからと言って、一生懸命働くための活力源にはなってない。。。
同じことも、こう言い換えたら活力源たりうる。
『働くとは、みんなの期待に応えること。その評価が、お金』
たしかに、活力は出る。
けど、実際には、「みんなの期待によりよく応える」=「評価としてのお金」に繋がる評価システムおよび評価闘争の場がなければ、社会は統合出来ない。
みんなで「なるほど、そういうことか」と思った瞬間だった。 |
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