>おそらく、万人(素人)による認識の創出と共認形成の場(=統合サイト)が、いずれ新たな社会統合機構となって、彼らに最終宣告を下すことになるだろう。(21495)
上記の投稿にあるように、まさに「観念は塗り替えたら終い」であるがそのための共認闘争=観念闘争がこれからの主戦場だ。
そして、それに勝ち抜くためにはマスメディアに支配されてきた共認形成の場を万人参加の場に移行することが不可欠だ。
一方、既にテレビや新聞などの影響力はかなり衰弱してきているものの、新しい共認形成の場として期待されるネットの信頼性が確立できないままであるために、いまだにマスメディアから発信されることが政治や行政への圧力源になっている。
いまの状況とは、人々の意識構造が下部意識が先に変化して上部意識が旧いままになっているのと同様に、社会共認の形成過程の上部構造が旧いままで遅れているという状況として捉えられる。
具体的には、以下のようなねじれ現象とも見える状況になっているところが当面の課題だと思う。
マスコミ人や政治・行政界の人たちにとっては既にネット界の動向が無視できない状況になっているにもかかわらず、庶民の多くの人たちにとってネット世界がいまだに遠い存在のままであるという逆転現象をどうすればよいのか。
万人が参加するという機能性については、今回のアメリカ大統領選挙に見られたように遠からず普及するのは間違いないと思われる。
たぶん、最終的に必要になるのはネット内の場の評価ではないだろうか。評価の集まる場をいかに構築してゆくかが、ネットが万人のものになるための必須条件になると思う。 |
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