>知識人が答えを出せない理由は、未だに否定or自我に基づいて思考しているが故に、既成の誤った「構造認識」や「価値観念」から脱却できないからである。<(18718)
数年前にかかれたもののようだが、現在の教育界、大学が進むべき方向性を誤っていると警鐘を鳴らす、18回にわたるシリーズ論文がある。
「教育オムニバス」 シリーズ:大学ビッグバン
〜多競争時代の中の大学と受験産業〜 渡辺幸重氏(教育環境研究所代表)
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前半は大学受験のありさまに焦点を当てて書かれているのだが、経営問題や学力低下問題にも触れ、後半では大学が本来担うべき機能、期待される役割について随所で指摘しています。
なにより結びの一文に力がこもっているので引用します。
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社会の後追いでない大学改革を望む
冒頭の話に戻るが、パラダイム転換が求められている時代にあって、大学は思想的にも科学技術の面でも教育の面でも、それに合った研究や提言、実践を世に問うているだろうか、というと、結論は否である。
厳しい時代だから理想を言ってはいられない、現実的に対応するしかない、とか、理想は理想であって実現できるものではない、と言う人もいるだろう。だが、例えばECを考えてみるといい。ヨーロッパ大陸にあって戦争が続く時代にその実現性を信じた人がどのくらいいただろうか。どんな時代にあってもECの理想主義を掲げ、推進した人がいたからこそ実現にこぎつけられたのだろう。理想と現実は相反するものではなく、理想を掲げ、それに向かって現実を生きるからこそ、理想も現実も生きるのである。
思い切った改革というのは既定路線の上を突っ走ることではない。理想を見据えて確固たる信念の基に現実を変えていくことである。車のない社会、質素な生活、経済成長がダウンする社会しか人類の未来を保証するものはない、あるいはそれでもだめかもしれないがそれをめざすしかない、という設定があるとしたら(この設定は私個人のものなので人によって異なるだろう)、現実がどんなに困難に見えようとも知恵を結集して提言や実践をすることが大学の社会貢献だと思う。
何を子どもじみたことを、という人もいるだろうが、社会のパラダイム転換を意識し、それに基づく理想を構築し、その理想に向かって現実的な改革を提言することなくして、大学の改革とは言えない、と私は考えるのである。
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