>知識人が答えを出せない理由は、未だに否定or自我に基づいて思考しているが故に、既成の誤った「構造認識」や「価値観念」から脱却できないからである.
哲学の不毛が叫ばれて久しい。
これまでの「価値」カテゴリーの領域から脱出できず、浮遊の世界観に押し潰されたままである。
電子磁器の急速な進歩によるバーアチャル・リアリテイーの拡大は身体の延長感覚の機能を際限なきまでに膨らませた。今や視覚の焦点さえ、マスメデアの虚像点を見るに至る。
しかも人間の本来の知覚機能は視覚のみに有らず、五感の作用にて対象を探る。
この対象世界の表象を恣意的・かつ無軌道に細分化した「支配観念」による世界観では統合の方向性を見出すどころか、その座標点すら見失いかねない。この哲学の不毛の時代に新たな観念による社会の構造認識の構築が待たれる。
しかし、支配観念を全否定し、新たな構造認識の推進・原動力たるものは何ぞや。閉塞感の積み重ねによる感性か?綻びだらけの観念群の全否定か?
どちらにしても 社会破綻(経済・環境・身体・精神)の予兆は視覚化されている。滅ぶことを必然とするならば、再生もまた必然と思った。
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