本田さんこんばんは。
認識過程と判断過程を私は次の様に考えています。(仮説です)
@何かの対象(外部情報)が視覚(もしくは聴覚等)に入る。それは皆さんが言っておられるようにおそらく視覚であれば「カタチ」の認知の状態でしょう。
Aそれを本能回路等(もしくは共認回路も?)に連なる、何らかの欠乏回路(内識機能)が曖昧に認知する。(その際アドレナリン・ドーパミン等の何種類かの伝達物質が複数分泌される)
Bそれによって更に欠乏回路が作動し、その導きによって、認知の対象を絞り込む。(絞り込み回路?の作動)
C絞り込み回路?に導かれて、視覚神経などの感覚神経によって捉えられた対象(外部情報)が、更に欠乏回路に連なる探索回路を駆動させ、それが体験記憶を呼び起こさせる。(「思い出し回路」とでも呼べるものが、それに当たるのでしょうか?)
この過程は複数回繰り返されるのでしょう。
D欠乏(内部情報)と絞り込まれた外部情報と更に体験記憶が付き合わされて、(統合されて)各運動回路に「○○の行動を起せ」という指令が伝えられる。=判断される。
大まかに言えばこのようなプロセスでしょうか。
つまり欠乏(内部情報)と外部情報との中間にある(どちらかと言えば内部情報より?の)体験記憶が、探索や絞込みを通じて結びつけられること。そして最後は行動指令を運動回路に発するという事が脳が判断を下すと言う事の中味であり、この複雑な統合過程と探索過程の発達が脳の(神経回路の)発達の中味なのではないかと思います。
だとすればサルにおける知能の発達とは、共認回路がこの統合過程や探索過程とどの様に関わっているかという問題になると思います。
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