こう見てくると、日本書紀は実は天武天皇のために書かれたように見せかけて、天智天皇や持統天皇のために書かれていたと考えられます。そしてもちろん、だからこそ、天智の懐刀であった中臣鎌足が英雄視されており、かなり詳述されています。
また、不比等と持統天皇の関係性をA185892のように捉えると、次のようなことも見えてきます。
一つは聖徳太子を他に例のないほどの偉人にしている理由。
律令制度を最初に取り入れようとした聖徳太子をとんでもない偉人に仕立て上げ(実際すごいけれど)、その敵として入鹿を記述し、その入鹿を倒した鎌足を英雄とすることで、父を正当化し、しかもその息子の自分(不比等)が大宝律令を編纂する正当性も得られます。
もう一つ、天武天皇と持統天皇が他に例のないほど愛し合っていたと記述されている理由。
天武天皇と持統天皇が相思相愛で、お互いの愛が非常に深かったと記述することで、持統天皇があたかも天武天皇の遺志を継いで即位したと思わせ、持統天皇の正当性を訴え、天武天皇のために日本書紀が書かれたように見せかけることが出来ます。
これらすべてを工作したのが不比等だったのではないでしょうか。
そして、歴史は、不比等や持統天皇の思惑通り、天武系の天皇の系列は称徳天皇で途切れ、光仁天皇以来、天智系の流れで天皇は続いていくことになります。
【誰のために書かれたのか?】
以上から推論すると、どうやら日本書紀は、天武天皇のために書かれたものではなくて、むしろ天智天皇や持統天皇のために、果ては藤原一族のために書かれたのではないかと考えられます。
<参考文献>
「戦乱の日本史 壬申の乱」小学館
「戦乱の日本史 蘇我・物部の決戦」小学館
「図解 日本史」成美堂出版
「口語訳 古事記」三浦佑之訳 文藝春秋
「日本書紀@、A、B」小学館 |
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