>しかも、私権が衰弱して生命力を失った(かつ現実からズレた)既成観念はとことん捨象されてゆく。観念自体が(上記の構造認識はもちろん、標語化した価値観念さえ)生命力を失って捨象されてゆく以上、観念によってしか把握できない危機・課題が流産してゆくのは必然である。(18571)
この投稿から、7年が経過した。環境問題、経済問題、精神破壊等に対し、危機・課題の大きさは日に日に増していくところであり、マスコミや学者等(統合階級)が既に答えを出せない。という事実は、当時よりも感じるところである。
一方、本源収束の可能性が、HPやブログといったインターネットに顕在化、その兆候が現れてきた現在、社会構造に肉薄していく実践的な可能性の模索に収束していく人達の活力を感じる。
危機・課題の大きさが大きければ大きいほど、徹底的に事実を解明し、課題を明らかにし、答えに迫っていく新しい観念機能の構築が求められている。
既成観念に捉われることなく、事実をしっかり見つめ、課題が鮮明になってゆけば、現在のこの閉塞した状況から抜け出せる次代は、必ず開かれていくと思います。 |
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