>4.そして'70年、貧困の消滅によって否定派の「構造認識」も肯定派(自我派)の「構造認識」も共に生命力を断たれて終う。(18718)
肯定派(自我派)の「構造認識」で分かりやすいモノといえば「個人主義」や「人権思想」であろうか。
誤った「構造認識」を商売道具にしたのが特権階級となった知識人であるならば、現場での(大衆への)宣教活動が学校教育なのだろう。
改正教育基本法における教育振興基本計画には、これからの教育の目標として「二十一世紀の我が国を担う日本人に必要な資質は何か,今後どのような日本人を育成すべきか」という課題に対し、第一番に以下の目標を掲げている。
>@自己実現を目指す自立した人間の育成
すべての人間は,一人一人が尊厳ある存在であり,自由と責任の自覚の
下に,自立し生涯にわたって成長を遂げていくことが何よりも肝要であ
る。また,すべての人間には,自分だけのかけがえのない個性があり,
その個性を最大限に生かし能力を伸ばすことは,極めて重要である。こ
れからの教育は,個人一人一人の人間としてのかけがえのない価値を尊
重し,個人の能力を最大限に引き出すことを重視し,個人一人一人が生
涯にわたって自らの能力を高め,あるいは自らの得意とする分野にその
才能を伸ばし,自己実現を目指そうとする意欲,態度や自発的精神を育
成することが大切である。
このような取組が,自ら考え行動するたくましい日本人の育成につなが
り,それによって,活力ある社会が実現できるのである。
相も変わらず“自我発の「構造認識」”で塗り固められている。
>他方、普通の人々は全般的に観念を捨象して、潜在思念による充足可能性の実践模索に収束した。
しかし、不全(危機・閉塞)を完全に捨象し切ることは出来ず、もう一方では潜在思念の社会収束(つながり・やりがい志向や変革期待や社会探索・事実吸収)が強まってきている。(18719)
これが普通の人々の実態であり求めているものである。且つ、この新しい潮流は若い人々にこそ顕著な傾向である。
もはや自我発の観念は不要であるにも拘わらず、一方で金科玉条として押付けられるのである。 |
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