長谷さんこんにちは
「農の活力再生には社会構造的な議論が必要」という事と理解しました。
私は、お金を指標として、豊かさ追求を活力源とする「市場社会の構造」を組み替えると言うことではないかと思います。
さかのぼりますが、一体なぜ農業が誇りの持てない産業になったのか?
食べ物を司る事ですから重要でないわけはありません。ところが、私達は農業に期待したり感謝するのではなく「お金」に期待し、感謝しているのではないでしょうか?
これを反対に農家から見れば、一般的に農作物はとても安い。美味しく栄養のあるお米が、殆ど実質価値のない商品よりも安いことはよくあります。(恥かしい話しですが米があれほど安いとはこれまで知りませんでした)従って収入がとても少ない。
2桁も違う。共認されている指標(お金)が低いのですから「これではやってられない!」と思うのは当たり前だったとおもいます。
市場社会では、「実質価値」より「市場価値(商品価値)」によって勝敗(→評価)が決まりますから、いいものであっても飽和した時点で評価がさがります。(=安くなります)反対にいつまでも少ないダイヤモンドなどは高い。
また市場価値(商品価値)は「欲しくなる」ことで値段があがりますが、だからといって実質価値が高いとは限りません。
日本ではいま欲しいものを探すことが難しいほど飽和しています。全てのものの評価が下がって底無しのデフレです。だからこそ、「市場原理ぬき」で実質価値が問われるように転換できる可能性がある。
実質価値とは、これまでも会議室で話されたように、栄養価だけでなく信用や感謝といった心の充足を伴う農あるいは食といったものであろうと思います。
「感謝」は最高のご馳走だし、みんなで食べればうまい!(共食)や、「自作した作物は旨い」というのもありましたね。
農・食の「実質価値」は「生かされている感謝の充足」というところでしょうか?
ネットでの新しい農の紹介や、スーパーでさえ商品に農家の紹介を付けたりしていることからみても、農の誇りは、市場社会の原理と順序を入れ替えて、「農業」への期待や感謝がすっきりつたわる事を「主」とし、お金のやり取りが「従(手続きのようなもの)」になるような関係から新しく立ちあがりはじめているように感じます。
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