私権の強制圧力によってもたらされた際限の無い「豊かさ追求」の共認は、人類史において私権時代がそうであったように自然の摂理(少なくとも生物史に見る事実)に照らし合わせて異常な状態であったと言えよう。
「豊かさを実現」した結果、私達は、私権観念の崩壊とともに生起した社会不全→答え欠乏により、新しい認識も「必要か、必要でないか」の判断の土俵に乗せるようになった。
全ての生物がそうである様に、また500万年に渡る極限時代の人類史を翻って考えると、何であれ「必要か、必要でないか」の判断は人類本来の状態(本源性)を取り戻しただけなのである。
>「物的な豊かさ」という目標が溶け崩れて、初めて『必要か、必要でないか』という真っ当な判断基準が潜在思念の奥から姿を現してきた。(33821)
とは上記のことを示唆しているのだと思う。
この投稿文を読み込み、仲間と図解化して得た最大の気づきでした。 |
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