サロンに参加し続けていると、今まで当然と感じていた価値観、
観念などが、かなり変なものかもしれないという感覚になる。
しかし、当の本人「それは違う、変だ!」という違和感を持って
いても、視覚に映る光景は、相変わらずあたかもそれが当然で
あるかのようなモノで溢れていることにも気づく。
電車内の車内吊り広告は、猥談と芸能界と政治ネタ。もう何十年も
同じ手法がまかり通ってきているが、飽きないのだろうか?
自動車は、もう殆どいじる個所など無いと思うのだが、微妙に
デザインを変えたりしてコピーだけで存在を主張する。
よく考えてみると、1000円札があれば何処でも飯を食えるという
のも不思議だ。何であんなに食い物屋ばっかり在るんだろか?
商店街で数十mおきにコンビニが点在するのも、よく考えてみると
不思議である。競合とかどうなんだろう?
食い物と言えば、先日芸人が飲食店をハシゴしてひたすら料理を
頬張るという企画番組が視界に入ってきてしまった。(観たく無かった
のだが…)芸人は泣きながら「もう食えません」と言い、料理を
頬張っていたが、あんなもの、視聴者が本当に面白いと思っている
のだろうか?番組制作サイドは…。
身分というのも、本当に機能しているのか?と疑いたくなる。
お金持ちは沢山いらっしゃるだろうが、今時別段、その方々が
「特別に偉い」という感覚は無いと思う。
何だか、モノは巷に飽和限界に達している状態で溢れているのに、
みんな惰性で消費しているといった、無気力さが、そこかしこに
充満しているように感じる。
間違いないと思う。
市場はもう限界なのだ。
欲しいものなんて、(その物欲を広告などで強制的に刺激しない限り)
もうありゃしないのだ。
一般大衆は、とっくに気づいている。
みんな「仕方なく」消費しているに過ぎないのではないか?
一部嗜好品ばかりが高価だったり、特別に価値があっても、
それはほんのごく一部が対象なのであって、全体で見ればやはり
消費も市場も限界なのだろう。
市場の存在をベースにした産業、仕事に活力が出ないのは、むしろ
当然なのかもしれない…。
今こそ、「必要か否か?」を判断できる土台を構築する事が必要
なのだろう。 |
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