本能レベルでは、性闘争と縄張り闘争は連動して現れます。ところが真猿集団の内部では、(他の群れとの同類闘争の圧力が強い場合)オス間の性闘争は首雄を頂点とする序列闘争という形に様式化(規範化)され、あるいは序列規範(ex.下位の者は上位の者にあいさつする)によって抑止されてゆきます。
何れにしても、性闘争は(離れ猿が首雄に挑戦してくる場合を除いて)集団内部に封鎖され、他方、縄張り闘争は専ら集団間の闘争として現れ(集団内部からは姿を消し)ます。つまり、性闘争は専ら集団内部で、縄張り闘争は専ら集団間で発現します。
本能レベルではひとつながりの性闘争と縄張り闘争が、どうしてその様に分断されて現れ得るのでしょうか?それは、真猿の縄張り闘争が、本能ではなく闘争共認に基づいているからです。(この共認回路を、ひとつながりの性闘争本能と縄張り闘争本能の回路の内、目的とする縄張り闘争の回路に接続させれば、縄張り闘争の本能部分だけが生起します。)
つまり、真猿の縄張り闘争は本能を下敷きとしつつも、それを共認機能によって作動させています。私が真猿の縄張り闘争を、本能に支配された一般の動物と区別して(本能にはない)同類闘争という新しい言葉で表現した理由が、そこにあります。(なお上記の通り、性闘争本能も同様に、規範共認etcの共認機能によって制御されています。)
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