>今や、「構造認識」は統合階級(学者や官僚やマスコミ)の商売道具として残存しているに過ぎない。もちろん心ある大衆は、そんなモノを全く信じておらず、彼らの言説を耳目にする度に吐き気を催すほど、ほとほとウンザリしている。
大衆がウンザリするほどの「既成の誤った構造認識」が商売道具として成り立つ不思議さを感じたので、整理したことをまとめます。
●貧困の時代には、既成の構造認識も否定や自我に基づいているとはいえ人々の潜在思念に響いたことで輝いていた。知識階級はその時代から構造認識を商売道具としていたともいえるが、それを求める人々がいたことも事実であり、その商売は成立していたといえる。
●貧困が消滅し、私権が衰弱すると、収束先を失った人々は社会(統合)不全に陥る。社会(統合)は観念でしか捉えられないので、何にせよ構造認識=観念を操れる学者や知識階級が特権階級化し、身分序列の頂点に立ち得た。
●古い構造認識が生命力を失ったことで大衆の思想に対する無関心が進み、知識階級による答えの出せない構造認識にも無関心であったことは、彼らによる構造認識の商売道具化を助長した。
●すでに大衆は輝きを失い無力となった既成の構造認識にウンザリするものの、潜在的な社会(統合)不全を抱えているが故に彼らを完全には否定しきれない。彼らは(実現しないことがわかっていても)可能性だけを垂れ流すことで人々を繋ぎ止めておくことが可能だった。この段階で、彼らの構造認識は彼らの身分を守るためだけの『商売道具』に成り果てた。
●身分序列の頂点に君臨した特権知識階級は、その地位を守る為に既成の誤った構造認識を手放さず、いつまでも答えのでない観念を振りまいており、社会はますます閉塞するばかりである。 |
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