>貧困が消滅し、私権の強制圧力が衰弱すれば、人工的に作り上げられた「私権だけ」といういびつなタガが外れて、生物本来の基底的な判断機能が再生されてゆくのは当然である。
↑この部分、実際みんなの意識がどう変わったのか?考えてみた。
「私権だけ」って、言い換えれば「自分だけ」ってこと。
自分の私利私欲のことしか頭にない。
本来、生物は「種として外圧に適応すること」が課題であるのに、「自分だけ」というのは、まさにいびつな状態。
だけど、貧困の消滅→私権の強制圧力がなくなり、そのタガが外れる事によって、本来の「種」、人類でいえば「みんな=社会」に意識が向かうこととなる。
しかし、みんなが目を向けた社会の現状は、ガタガタ、不全だらけ。。
私権にかわる新しい活力源も見出せない、収束不全、活力不全。。
意識が「自分からみんな」へ転換した人々の欠乏は、みんなが活力を持って、安心して生きていける社会を作っていきたい、そのための答えがほしいというところだと思う。
そういう状況であれば「(みんなが生きてゆく社会にとって)必要か否か」という判断の土俵ができるのが、よくわかる。
そして、そのみんなの判断が「新しい社会」を作っていくことに他ならないのだと思う。 |
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