現在、当たり前のように浸透している個人主義思想を始めとする近代思想群ですが、その思想構造は下記のように自我(エゴ)を強める構造にあります。(参考:972)
自我⇒個人⇒近代思想(個人主義etc.)
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(己の「自我」を正当化する観念としての「個人」に収束することで自我が充足される=自我が肥大する)
そして現在、
>(本当のところがどうなのか追及する事なしに)「嫌なものを排除する」という行動を許容しているのは、社会全体の空気ではないでしょうか?(152321)
>「頭の中の密室」を許している限り、信じられない事件は後を絶たない。(152572)
等のように、「個人」という絶対不可侵の領域=密室を許容する空気がもたらしていると考えられる問題が多発している。しかしこれらの問題は、あまりにその「個人」という観念が当たり前のものであるが故にそこに原因があることになかなか気付けない。
だからこそ上記の構造は大きな気付きだった。
無自覚であることが問題の根幹になっているというのは非常に根の深い問題だが、それだけに気付いたときの衝撃も大きい。つまり、それだけ多くの人に気付きと問題意識を与えることができるという可能性も持っている。
>人と人を繋ぐもの、それは『なるほど!』と思える答えであり、それを伝えることは、どこでだって、誰にだってできること。そんな『充足媒体』をいっぱいいっぱい作り出していく。それが最前線の「なんでや露店」の役割であり、それを全うするためには、自らも『媒体』になることなんだと思う。(74467) |
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