>『認識』は、それが当り前のものと成れば成るほど、絶対的な共認圧力と成って末端まで貫通した統合機能を獲得する。
しかし、普通の言葉がそうである様に、当り前になるほどその圧力は意識されなくなり、従って活力源としての機能が弱くなってゆく。逆に、新しい認識は、(最先端の外圧に対応する)最強の活力源となるが、末端にまで共認されない限り、万人の統合機能たり得ない。>31767
上記の『認識』を法律と読み変えると、現在進行中のコンプライアンス(法令順守)の危険性が浮き彫りになります。
・制定された法律は末端まで知らないのが常態であること。
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統合機能たりえていないことを露呈しています。
・一旦施行された法律は固定化されるので、最先端の外圧に対応仕切れないこと。
↓
特にいま、憲法議論がその典型であり、賛否いずれにしても議論の中身がなく、一部の特権階級の中だけで行なわれようとしています。大衆はいつまでも傍観者にさせられているから、統合しようという意志までも奪われたままとなります。これで活力がでるとは到底思えません。
だからこそ、
>人類の最先端機能は、最末端まで貫く同類闘争の圧力を大前提にしており、それなしには成立しない。>31767
>私権闘争・掠奪闘争を止揚した次代の人類の最先端機能とは、最先端の認識闘争=評価競争の場となる『認識形成の場』そのものに他ならない。>31767
というふたつの事実構造に照らせば、時々刻々と変化する外圧に対応した法制度を自分達で確立していくことが求められます。そこで制定された法律も、新陳代謝が常に行なわれることとなります。
コンプライアンスは、とりあえずの秩序収束でありますが、大局的にはこの新しい流れを遮断してしまいます。
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