ものさしがある。
中心に「事実」がある。
人は価値観念等を通して、変動可能な基準点を設ける(当然「事実」からずれる)。場合によっては、「事実」からずれた場所にわざと基準点を置く。言葉化した上で、それを「本当の事実→真実」と思い込む。
周りは、どうなのか、あるいは、自分がどれだけのずれがあるのかが、行動として顕れる。
他の人が設けた基準点に刺激されて、自分の基準点を他人のものに合わせようとする。逆に、他者と衝突したり、自分の基準点に誘導したりする。
刺激のプロが、政治屋であり、マスコミである。彼らは、大衆を自らの基準点に近づけるためには「事実」からかけ離れたものであっても、何だってやる。
※マスコミが「事実」からかけ離れた位置を「真実だ」と誘導してることに、普通の人達はすでに気がついている。
ものさしの目盛の数が理論である。「個人主義」は、目盛の数は無限大。
旧観念は、ものさし自体が曲がってしまっている。
新理論は、「事実」という目盛ひとつだけ。 |
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