>『認識』は各人の日常的な最先端価値(=統合価値=評価指標)であり、また基礎的に社会を統合する機能をも果たしているが、それ自体は社会を統合する最先端機能たり得ない。社会を統合する最先端機能は別に要る。(31767)
事実を発信する『きっこのブログ』(リンク)が、あれだけ読まれていても(リンク)世間では同類闘争圧力が高まっているようには感じられない。
認識形成サイトに常駐する人々は、発信された事実をもとに様々な仮説を立て、より根本的な事実を探ることができる(追求する活力が上昇する)。そこで得られた認識を発信し、新たな気付きや活力を人々に与えることもできる。
一方、未だ認識形成サイトを知らない一般のネット読者にとっては、有用な事実認識であっても、それを活かすことができない。単なる話のネタにしかならない。
この差は大きい。
認識形成サイトにみんなが身を置き、最先端課題に挑戦し続けることができれば、同類闘争圧力が上昇していくと思われる。しかし、現在はそのような状態にはなっていない。傍観者的体質はマスコミによって染み付けられているとは言え、もはやそんなことを言っている場合ではないと思う。社会は明らかにおかしな方向に向かって進んでいるのだから。
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