>例えば、私権の強制圧力が衰弱し始めて以来、有閑化や人(ひと)収束やサークル(NPOを含む)etcむしろ市場外の生活領域が拡大してきた。しかし、結局それらは何ら新しい現実を結実させることが出来なかった。単なる有閑や人(ひと)収束やサークルに留る限り、何ひとつ結実しないことは、この30年間の実績から(更には過去の全ての社会運動の不成功からも)明らかである。(35272)
何ひとつ実現しない最大の要因は、それらが市場外=現実から目を逸らした位置に存在し、現実を変革(=実現)しようとした点にある。
>従って、潜在的な新しい可能性が顕在化して新しい現実と成るためには、古い殻を内側からこじ開け、私権の現実の中を突き抜けてゆく必要がある。だとすれば、新しい演場、とりわけその中核を成す『認識形成の場』自体が、私権の現実(国家や市場)の真只中に乗り込み、内部から私権世界を解体・再統合しながら、突き抜けてゆくしかない。(35272)
だからこそ新たな可能性(=認識形成の場)の有料化(古い評価指標=お金)とは、現実を変革するための評価共認の要となる。そして認識形成の場で紡がれていく認識が、古い評価指標(お金)を新たな評価指標(=人数)のもとへと再統合していく。つまり有料化を避けるのは、もはや現実逃避した遊興か、未だに古い評価指標に固執している頭だけだ。
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