最近、街で2回ほど「教育基本法改正反対」の街頭署名活動に遭遇した。活動をしている団体はどうやら日教組関連の団体のようだ。仲間の教師が式典で君が代斉唱や起立をしなかったために処分を受けたことに抗議をしているようにも聞こえる。
街頭での演説を聞いていると、とても応援する気にはなれない。彼らにとっては、ルールを守って子ども達の範になるということより、体制に異を唱え好き勝手に振舞う権利と自由の獲得を目指すことが、よっぽど重要な闘争のようだ。
教育基本法の改正反対についても、「国を愛する心=愛国心」に過剰に反応しているだけで中味が乏しい。その根底にあるのは、個人の自由だろうか?そして、勝手に個人のアンチとして集団を位置づけ、集団主義=全体主義=軍国主義と短絡的に結びつける。そうやって個人=自我を正当化する。
子どもの個性が大事だというのも、子どもを競争社会に巻き込むなというのも、すべて自分がそうしたくないだけのようにむなしく響いた。悲しいかな彼らは、現実社会が見えない。
彼らからすれば、国家を歌うも歌わないも、勉強をするもしないも、個人の自由なのでろうか?
実は、今の時代、収入も身分も保証され、その上、単なるわがままを個人の自由や権利と履き違えてはばからない「個人主義=利己主義」の生きた化石のような存在が今の教師の姿ではないか?
道行く人は、ほとんど相手にしていないことにも気づいていないのだろう。このような教師が多数派でないことを願うばかりだ。
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