>認識闘争の圧力が最末端をも貫く圧力にまで成長すれば、それに応える『認識闘争の場』は人類の最先端機能となり、全てをその下に収束させた社会統合機能となる。(31767)
認識収束が顕在化して、最末端をも貫く圧力となる「認識形成サイト」の場は、るいネットのように用意されてきた。しかし、全ての人々の意識が認識収束に向かうという状況ではないように思う。それには、段階があるのだと思う。
2002年、今までの自然圧力、私権圧力を克服して私益圧力が消滅して収束不全に陥った時から、適応欠乏・潜在的な秩序収束に導かれて、確かなよりどころを求めて、とりあえず、人収束、目先の課題解決へと私たちは向かったように思います。
現在、私たちは、マスコミ不信や、教育不信、身分や肩書収束の自分収束への不毛さ、企業の談合や捏造、不正などのへ嫌悪感、違和感、政治や国家機関への統合不全を感じ、このまま目先収束のままでは、ダメであるという意識を刻印されている状況に思います。
このように、[収束不全]⇒[目先収束]→[目先収束の閉塞]の段階を経て、その先、私たちは、確かな中身・事実を求めて、どんどんと深く根底へと志向し始める段階になるのだろうと思います。
目先収束した課題がどんどんと閉塞して可能性を閉じていきます。ここから、目先にとどまるか?可能性を求めて、根底へと事実追求・観念探索⇒認識収束に至るかは、みなの同類圧力を感じる場に参加するどうかできまります。参加すれば、可能性は見出され、るいネットのような認識形成の場が、その根底志向を統合する場として機能して、認識収束の段階を加速するのだと思いました。
この段階を経て、もう少し時間がかかりそうですが、そう遠くない時期に、その基調は現れてくる(すでに顕在化している?)と思っています。 |
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