>人類は直面する過酷な現実対象=自然を凝視し続ける中で、元来は同類を対象とする共認機能を自然に対して作動させ、自然との期待・応望=共認を試みたのである。そして遂に、感覚に映る自然(ex. 一本一本の木)の奥に、応望すべき相手=期待に応えてくれる相手=精霊を措定する(=見る)。(実現論1_6_02)
>このような、彼らの言葉の中に、「存在不安」の影は微塵も感じられません。自らと、全ては同一であることを知り、そこに存在することに、ただただ感謝を捧げるのみ。 (4829 西谷さん)
過酷な状況下の中で、敵対視やマイナス視をせず、ただひたすら超越存在たる自然を同化対象として、対象化(凝視)していった結果、人類自身も、実は自然の摂理の中で、生きているんだということを理解し、西谷さんの仰られるように、自然への「感謝」の念が、精霊信仰(観念機能の獲得)の中身(出発点)なのかなと思った。 |
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