芸妓の世界でいう「水揚げ」は、お金に置き換えた処女の価値です。結婚相手に処女を願望(現在は本当に願望でしょうが)するのも独占欲を満たすための「俺の女」の価値です。
そこにあるのは「めったに手に入らない貴重なもの」という意識。独占したくてたまらない「女の性」のさらに高みにある価値。「この俺がはじめての男なんだ。そしてこれから先、ずっと俺が唯一の男となるんだ」といった独占意識の至高の喜びみたいなものがうかがえます。
一対婚を基盤にすえる私権社会ではこの処女願望がよりつよい(強かった)ように思います。また経済力や権力に応じて一夫多妻が認められている場合もありますが、ここでの処女願望もきわめて独占意識が強く入り込んでいるように感じます。
しかし、いっぽうで古くから伝わる少数部族の風習の中には、女の処女権はすべて族長に委ねられているケースや、日本の旧い農村のように、娘仲間で熟年、老年の男を選出し、双方が合意すれば初交が成立するというおんな側からの「処女夜這い」もありました。
これらは、男の資格や経験にもとづき初交を認めるといった性規範の例ですが、ここでは独占の願望など問題外のことになります。みんなから認められる男になることや、しっかりとした経験をつみ娘達から敬愛されることがまず前提であって、単なる願望や、お金のような価値とは次元の違う処女観(初交観)であったように思われます。
女性の初交というのは、その女性が後にどのような性充足を得られるか、という点でもとても大切なことです。
処女は「いい女」の原石である。そしてみんなが認める「いい男」と初交を経験することは女にとって幸せであり、その後「いい女」になるための大事なステップである。という処女観、初交観は本当の意味で女性を大切に思い、敬愛していることになるのではないでしょうか。
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