織田信長の知遇を得ていたイエズス会の宣教師L.フロイスの『ヨーロッパ文化と日本文化』のなかに、
「ヨーロッパでは未婚の女の最高の栄誉と貴さは貞操であり、またその純潔が犯されない貞潔さである。日本の女は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いていても名誉も失わなければ結婚もできる」
「ヨーロッパでは娘や処女を閉じ込めておくことはきわめて大事なことで、厳格に行われる。日本では娘たちは両親にことわりもしないで一日でも幾日でも一人で好きな所へでかける」
「ヨーロッパでは妻は夫の許可がなくては家から外へ出ない。日本の女は夫に知らせず好きな所にゆく自由をもっている」
などの記述が見られるが、戦国時代だけでなく、はるか奈良平安の昔から明治の初期に至るまで、日本人は性に関してかなりおおらかだったらしい。処女などは尊重されないばかりか、「男とまだ性交をしたことがない」という意味での「処女」という概念そのものがなかったらしい。
(「処女」という言葉はもともと、ところ定めず旅をしている遊女ではなく、親の「処」など、一定のところにいる「女」という意味であって、性交経験の有無は関係なかったとのことである。しかし、「処女」のほかに、性交経験のない女を意味する「未通女」や「生娘」という言葉があるが、これら言葉はいつできたのであろうか。もし江戸時代にこれらの言葉がすでにあったとすれば、戦国時代のキリシタンの影響で、江戸時代には上層階級の一部に処女に価値をおく文化が入っていたとも考えられる。)
確かに、江戸時代に「貞女は二夫にまみえず」などという観念はあったが、それは上層武士階級の一部のことであって、それもタテマエに過ぎなかった疑いが濃い。言うまでもなく、一般庶民においては、夜這いの慣習が示しているように、男の子も女の子も、思春期に入るか入らないかぐらいから、かなり自由に性交していたし、離婚などもありふれたことで、離婚した女が再婚先に困ることはなかったし、貞操観念はかなりゆるやかで、今で言う不倫もそれほど咎められることではなかったらしい。
要するに、性交が罪深いいやらしいことであれば、論理的に言って、性交した者は穢れた者となるわけだから、処女の純潔が重んじられず、処女を失っても何の差し障りもなかったのは、近代以前の日本では性交が罪深いいやらしいことではなかったからである。
参考:「性的唯幻論序説」岸田秀
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教には共通して、「性嫌悪」(セックスは本質的には罪、いやらしいこと、災いのもとであるという観念)と、「処女」「純潔」に対する異常な執着の観念がセットされている。これは想像だが、処女性を重んじる文化というよりは、大陸において過去に繰り返されてきた、女をめぐる血みどろの争いから学んだ彼らなりの知恵のようなものではないだろうか。
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