>C女移籍→女たちの不安が大きくなると・・・
・嫁いだ女が母親になると、「自分の娘が移籍する際は肩身の狭い思いをさせたくない」「持参財(家畜)は少しでもいいものを」という親心になるのは当然で、そのためにも、男たちにもっと家畜を増やすように、もっと縄張りを拡大するように期待してゆくことになる。
・この期待は必然的に、氏族内の蓄財意識を生み出し、しだいに自集団の私益第一の様相が強くなってゆく。(136597)
遊牧民族が女移籍の父系制をとったのは、過酷な移動生活での集団維持のため。ここで女移籍の際の「女の不安」は、出産・子育ての生殖存在としての不安である。この時代に上記の「自分の娘が移籍する際は肩身の狭い思いをさせたくない」というような意識は、果たして存在しただろうか?
遊牧民族の小集団の間では、徐々にヒエラルキーも形成されてきているだろうが、父系制にしても女移籍にしても、集団にとっての利益最優先であって、「自分の娘」や「嫁いだ娘への親心」といった意識はまだなかったのではないだろうか?あったのは「自集団から他集団へ移籍した女の子」であり、「他集団の中での待遇への不安を抱くこと」だと思う。従って、この不安を少しでも無くし、立場を有利にするための婚資(家畜)を増やすための私有意識・蓄財意識を、個人ではなくあくまでも集団としてのものだったと思われる。
遊牧民族については、実現論【第二部:私 権 時 代 イ.人類の同類闘争=性闘争から掠奪闘争へ】(実現論2_1_01)に述べられている。
>遊牧は、羊を連れて小集団(小氏族)で独立して移動する生産様式である。しかも、遊牧部族は移動≒闘争集団ゆえに男原理の父系集団となり、元々の母系の勇士婿入り婚は父系の勇士嫁取り婚に移行している。その婚資(結納)は相当数の家畜である。従って、その小氏族=大家族そのものが、蓄財(家畜を増やすこと)を第一義目的とした私益集団的な色彩を帯びている。とりわけ、女は闘争集団に対する収束力が極度に貧弱であり、自らが生まれ育った生殖集団=闘争集団においてはじめて集団に全的に収束できるのであって、嫁ぎ先の闘争集団に全的に収束するのは困難であり、多かれ少なかれ集団との距離を残している。実際、他所者の妻たちは、夫々が別々の小氏族の出身であり、実家の小氏族を基盤にして自らの存在権を守っているので、嫁ぎ先の小集団に対して夫々に私益存在的な色彩が強くなる。その上、羊さえ連れてゆけば小単位でも生きてゆけるので、規範破りの不倫駆け落ち集団が発生し易い。<
遊牧民族の女移籍による「女の不安」が、初期では集団を母体にしたものであり、私有・蓄財意識も集団に根差したものであっただろうが、上記にある「不倫駆け落ち集団」の発生から、性的自我が形成されて以降、自我に基づく私有意識・蓄財意識へと変わっていったのではないだろうか?
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