仲間収束の強まりから、個々の共認充足度の違いによって外向収束に2つの流れが生まれているように見える。
●一つは強く仲間収束するが、身近な仲間関係が上手くいかない場合。共認充足を求めてネットやサークルなどに外向収束。
●もう一つは、仲間関係はうまくいっている場合。社会不全から可能性を求めて活力ある人を探して外向収束。
しかし、温度差はあれこの2つの流れは、別々の潮流というよりは、個々に於いて各々混在していると見たほうがよいだろう。例えば、比較的仲間関係がうまくいっていない時は、人を価値化して人に収束。仲間関係に比較的問題のない時は人を対象化して人に収束。といった具合に。更に付け加えれば、これら人を最高の価値とするのも、最高の対象とするのも、それはどちらも人へと向かう本源的な人収束に他ならない。だからこそ、この意識潮流は本源収束の基軸であり、次代(共認社会)の基盤となりうるものなのだ。 |
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