>殆どの人はそれを『買えるか、買えないか』としか考えず、それが『必要か、必要でないか』などと考えたことも無かった。(33821)
冷静に考えれば、環境問題にしろ、教育問題にしろ、経済問題にしろ、人類の生存基盤や種の存続に関わる重要な問題で有るわけで、その判断軸が『買えるか買えないか』などという私的なレベルで判断されてきたのは、極めて異常な事であり、万人が豊かさ追求を共認したとはいえ、結果的には自分勝手で自己中な判断が横行した狂った時代だったと言える。
つまり、顕在化し始めた「真っ当な判断の土俵」とは、自分勝手な判断を許さないという、「真っ当な同類闘争、共認闘争」の場の登場を意味するのだと思う。
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