>個々の即自的な価値観念(頭の中に内在する本源価値を言葉化しただけの、古代宗教や近代思想)では、相互対立を孕んで統合できないことは明らかであり、諸々の思想=即自観念を超えた事実の体系こそが、万象を照らす鑑となり、社会統合の要ともなる。実現論9_7_05
例えば、「自由」という価値観念は「平等」という価値観念と相互対立を孕んでおり、どちらの価値観念を選んでもまともな統合は果たせない。それは平等を目指した旧共産圏の崩壊、そして自由を目指したアメリカの今日の姿を見れば一目瞭然である。26274参照
例えば、キリスト教とイスラム教など、自集団の正統性のみを補強する観念は、いつまでたってもいがみ合う。それが歴史時代を貫通した事実である。
宗教も近代思想もあくまで即自的≒直観的・一面的・断片的な認識にすぎず、構造化された=つながった認識になっていないから、社会を統合する理論となれなかったのだ。
物事を一面的な因果関係で説明する‘したり顔’の知識人に私たちは、ついつい騙されてきた。郵政民営化もそうだったし、今回の北朝鮮騒動にもマスコミ議論の一面性を強く感じる。一面的な議論に流されていては、道を誤り、統合はおぼつかない。
しかしそれは(一部の左右共闘を求める良識派を例外として)左右に分断されたままのネット界の言論にもいえることだろう。例えば、アメリカの凋落⇒核拡散化の流れにあって、日本はどうするべきか。心ある人たちによる(反戦派か否かによらない)左右の壁を超えた議論が不可欠である。そしてトップブロガー自身がそれを求めなくても、それを見た読者が注目ブログ&サイトに様々な意見を持ち寄れば、その中から、より統合的な見識を見定めていくことができるだろう。るいネットが統合サイトになるということは、具体的にはそのようなプロセスを踏むことになるのではないだろうか。
左右思想=即自観念による対立から、左右対立を超えた構造認識による統合へ。その必要性・緊急性は、極めて高い状況にある。 |
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