収束不全から、人収束ややりがいを求めてサークル活動、またはNPOに参加するなど一連の流れがありましたが、現在お金(現実の評価指標)を悪しきものとする活動で、根本問題を何も変えていけていない事は、周知の事実として認識されはじめて来ているように思います。
現実社会(市場社会)の評価を対象化しない限り、自集団の自己収束性に陥り、自己満足の範疇を超えていかないのではないかと思います。
>新しい可能性は、現存する同類闘争の場(=市場)の中で、現存の評価指標(=お金)に則って現実の必要が認められ、勝ち抜いてゆくことによって、はじめて既存の全てを自らの下に収束させてゆく新しい最先端機能であることを、人々に証明することが出来るからである。(35273)
現実の社会(お金を評価指標とする市場社会)の中で、事業として成立する社会活動こそ本物として人々を引きつけうる活動となるのだと思います。
現実社会(市場社会)の評価を対象化しない社会活動は、むしろ実現性を不可能視させる活動にしかなっていない恐れを逆に感じます。
なんで屋露店のように常に現実の評価にさらされている活動こそ社会を再統合する可能性を持った活動で、大いなる期待のかかった活動であると思います。
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