>つまり、『必要か否か』という最基底の、それゆえ真っ当でシンプルな『判断の土俵』(=新しい演場の基礎)が出来てくると、国家も市場も全面的にその土俵の上に乗らざるを得なくなり(∵逃げ道はない)、そこでの評価指標=身分やお金は『現実に必要か否か』を表わすモノサシに変質せざるを得なくなる。33995リンク
私の消費に関する実体験を考えてみると、物財の価値が自明であった時代の「買うか、買わないか」の基準で商品を選択していないことに改めて気づく。
つまり、たいていの物を買おうと思えば買えるだけのお金は既に持っているのだ。
それなのに、買っていないという事実。
これは、自分にとって商品の(現実の)価値が、本当に「お金」という指標で表されている価値量(価格)と同じなのか?という問いが頭の中で展開されているということである。
この商品が「必要か否か」という判断基準で消費を行っていたということを本投稿から認識することができた。
同時に「必要か否か」を問う判断の土俵の上では、商品(物財やサービス)に対してお金を支払うことが、まるで選挙で一票を投じる行為のように思える。
この民主的な土俵の上で、必要でないものは淘汰されるであろう。 |
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