>そして又、新しい可能性は、現存する同類闘争の場(=市場)の中で、現存の評価指標(=お金)に則って現実の必要が認められ、勝ち抜いてゆくことによって、はじめて既存の全てを自らの下に収束させてゆく新しい最先端機能であることを、人々に証明することが出来るからである。(35273)
>即ち、人々の最先端の認識欠乏に応える『認識形成の場』(それは社会的な共認闘争の主体となる)は、古い私権闘争の場=市場(と国家)の真っ只中に姿を現す。おそらく初めは、そんな物(=認識形成サイト)が商品にもなるとは、誰も思わないだろう。だが、我々の現実認識(構造認識や状況認識)が正しければ、人々の認識欠乏が顕在化するのは時間の問題である。それは、はじめの答え(に近い認識)と認識形成の場さえ与えられれば、一気に顕在化する。(35729)
テレビに変わるインターネットという媒体に可能性を感じるが、インターネットを見るのは、ほとんど無料。これは、企業からのバナー広告による収入で成り立っている部分もあるかもしれないが、インターネットの中身が、いまだ認識欠乏に応える場になっていないから。企業のバナー広告がリンクされているのも、よりアクセス数の多いサイト。
これでは、旧い私権闘争の場の枠内からあまり抜け出していない。
だからこそ、”はじめの答え”をもった認識形成サイト+有料化が必要という構造はわかる。
有料化に対するインターネット上での工夫はないのか?個々のサイトを束ねた統合サイトによる有料化というしくみや、それを可能にするインターネット網の形成など・・・。 |
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