>ところで、最近の言い逃れの様な「相手の尊重」という個人主義の言い分ですが、いったい大切なのは自分なのでしょうか?相手なのでしょうか?それとも自分と相手がイコールの比重を持つのでしょうか?もし、自分と相手がイコールの比重を持つとすれば、その主体はもはや自我では在り得ず、(当然、個人という観念も消えて)全く新しい概念が必要になりますが、それは何なのでしょうか?
個人主義は、文字どおり「自分」や「相手」という一つの個体を対象とした概念が存在し、最優先される。
だから社会(=みんな)のことを考えようとしても、「相手の尊重」という一個体を対象とする発想になってしまう。
こんな理想を目標に掲げていても、統合軸や判断軸が定まらず社会が混沌とするのは当然だ。
いっそのこと「人類という種を尊重する」と考えるのはどうだろうか?
人類という種の保存が最優先される。
個々人の利益や自我なんて一切関係ない。国家の権益なんてのも関係ない。
これを何主義というのかわからないが、このように考えることができれば、現在の環境問題なんかもすぐに解決するのだろうと思う。 |
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