かつて、社会のことは、政治家や学者にお任せの傍観者だったというより傍観者にさせられていた。
>32569まして、傍観者に過ぎない特権(知識)階級が供給する情報をひたすら消費してきた読者・観客は、当然のことながらもっとひどい傍観者に成り下がってゆく。
〜(中略)〜その誤った認識を人々に植え続けて、遂に人類滅亡の危険さえ考えられるほどの全面的な閉塞状態に人々を追い込んで終った。
〜(中略)それに対して、普通の人々は、夫々の専業を営みながら、現実社会を生きている当事者であり、当事者だからこそ現実を直視し、新しい現実を(良かれ悪しかれ)作り出してくることが出来た。<
露店でも、「現実に生きている私達一人一人が当事者として社会を変えて行きましょう、創っていきましょう。」と括ることが多かったが
>他方、需要者の方も同様であって、現在すべての人が収束不全を孕み、「出口が見えない、答えが欲しい」⇒「みんな、どうなん?」と答えを模索中であるが、彼ら需要者は、潜在的にはみんなの役に立てる仕事を探している潜在供給者でもある。<
むしろ、今後は、「あなたも“みんなの役に立てる”“自らの活力も再生出来る”供給者になりませんか?」というトークの方が潜在供給者の潜在思念に響く可能性が高いのではないだろうか?
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