>妻問婚(母系制的対偶婚)は、身柄や生活の拠点は各自の氏族にあり、夫は妻方に通ったり(別居−妻問い)、滞在したり(妻方同居−婿取り)するが、その結合は弱く離合が容易である。妻問婚は、武力を伴う、自己側の祭祀圏に組み入れる方式と並んで、有力共同体が弱小共同体を征服し擬制同族化する方式としてとられた。つまり遠近の同族異族に対する妻問婚によって、父系観念を育成し、妻方に生まれた子を中心に、その一族を擬制同族化し、あるいは同盟氏族に、あるいは部民とする政策がとられた。しかし、庶民(族員層)は村落内婚や入会婚(クナド婚)を行っており、集団の規制下で多夫多妻欲をみたしていた。22931
母系制対偶婚でありながら、父系観念を育成し、というところが良く分かりません。
妻問婚が、江南人の渡来によるものだとして、弥生から古墳時代にかけて、私有意識の強い渡来人は豪族となっていったようです。当時の豪族は、土地や生産物、生産力(農民)、兵力を私有し、一定の地域を統治している。守り、受け継ぐべき私有財産の存在は、戸籍や家系を持つ根拠となり、父系制社会であることの根拠ともなっているように思われるのですが?
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