>母親への同化収束力が強すぎるために母親以外は同一化の対象にはなり得ず、仲間圧力=同化圧力も表層的だけでやり過ごしているようです。
しかし、親以外は表層でやり過ごしてきたが故に、仕事や人間関係といった現実の圧力に耐え切れず(同一化できず)、活力が出ない=(対象のない)親の期待に応えられない自分を攻撃し、鬱やひきこもり、体調不良などの肉体不全で文字通り身動きできなくなる若者も増えています。<(75324)
この数年気になっていたことがあります。
子供たちが大人に向かって伝える言葉が、単語で喋ることが多いように感じます。
小学5〜6年位の親子の会話
子「かみ」(鼻が出たので鼻紙が欲しい)
母「鼻かむの、ちょっと待って、はい、ちゃんと拭きなさい」
子「かみ」(かんだ後の紙どうするの)
母「もういいの?捨てるからかしなさい」
子「これ」(この本を買って欲しい)
母「これにするの、また、この前と同じような本なのに、本当にこれでいいの、こっちの方がいいのと違う」
子「いい」(同じでもこの本が欲しいので、これにする)
先生と生徒の会話 中学生
生徒「かみ」(ノートを忘れたのでノート代わりの紙を下さいの意)
先生「かみって何?ティッシュペーパー?トイレットペーパー?」
(先生はわかっているが、わざと聞く)
生徒「ノートの紙」
先生「ノートの紙をどうするの」
生徒「忘れたから貸して」
'90年以降、豊かになり生きる対象を失った親は子供になんでの答を提示できなくなり、その代償として友達親子、何でも理解している物分りのいい親を演じ、密室空間での子育をすることにより、相手に期待をかける大事な言葉さえ子供から奪い取ってしまったと思います。
子供のなんでに充分応えられない代償に、子供の発する言葉を先読みして手をだしてしまう。
子供に「何をどうするのか」、「どうして欲しいのか」相手に分かるように伝える言葉の芽を刈り取って、子供の言うことを理解している、物分りのいい親と自己満足に終わっているように思います。
>幼少期の“おとなになると、なんにでもなれるのなんで?” (69452)という、子供の大人への可能性視は、今社会空間に向けられました。子供たちが期待する大人とは、社会の当事者そのものを意味することになります。<(106370)
相手の言葉を理解し、相手に言葉を伝え理解してもらうことがいかに大切か、狭い密室空間で物分りのいい親より、社会に出す子供たちを育てることこそ大切な親の役割、大人への期待と思います
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