>充足機能がなければ、不全を知覚することは出来ない。(23883)
不全を感じたとき、それを不平や不満や不可能視に置きなおしてしまう場合が多い。そして自我と結びつき、対象を否定してしまうことに陥りやすい。
しかし実は不全を感じている、その奥に求めている充足がある。
そういう意味では不全を感じているときとは、適応本能が作動し、その充足機能が探索に向けてエンジンをふかしている状態なのではないかと思う。
ただ頭の先で、「無理だ。できない」ことを正当化する観念(大抵はマスコミ等で垂れ流されている旧観念の言葉を借りてきているだけ)によって、適応本能にフタをしているだけなのだ。
考えてみれば生物史を貫く適応本能と高々私権時代の観念とではどちらが本流かor可能性があるかは火を見るより明らかで、後は新概念を羅針盤にすれば、不全こそが充足の入り口になるのだと思う。
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