>そして『認識』は、それが当り前のものと成れば成るほど、絶対的な共認圧力と成って末端まで貫通した統合機能を獲得する。
しかし、普通の言葉がそうである様に、当り前になるほどその圧力は意識されなくなり、従って活力源としての機能が弱くなってゆく。逆に、新しい認識は、(最先端の外圧に対応する)最強の活力源となるが、末端にまで共認されない限り、万人の統合機能たり得ない。(31767)
「言葉」について、的を射た内容であると感じた。流行語であれ何であれ、「言葉」はその時代々々に通用するだけのツールであり、意味内容を載せた「容れモノ」である。日々常々使用してきたおかげか、幸い、社内の会議などで新概念の言葉、共認や外向収束などの言葉が随所に出されるまでにはなったが、果たしてその言葉を用いることに満足してしまってはいまいか。
重要なのは、
>従って、『認識』は各人の日常的な最先端価値(=統合価値=評価指標)であり、また基礎的に社会を統合する機能をも果たしているが、それ自体は社会を統合する最先端機能たり得ない。社会を統合する最先端機能は別に要る。(31767)
ということであり、つまり、その「言葉」の持つ意味を社会に伝えていく視点、構造が必要である。それを意識しない限り、どれだけ有用性の高い言葉であっても、社会を開いていく突破口たり得ないことを再認識する。 |
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