>性闘争本能が自我を生み出した訳ではありません。自我は周りの規範共認や評価共認に対する否定を源泉として始めて生まれます。ただ、共認回路がその副産物として自我回路を生み出した以上、性闘争本能の回路は後から必然的に自我回路に収束してゆくことになるということです。)2239 四方さま
自我=自己讃美、他者否定といえます。だから自我回路は私権闘争=性闘争本能から派生したのではないかと漠然と思っていました。
そして私権の終焉に伴い、性闘争本能の衰弱→自我の衰弱(封鎖では無い)→残るは大本の共認回路よりそこに収束するのは必然と短絡的に考えて来ました。
しかし、衰弱こそすれ自我は残り続ける。であれば残り続ける自我に収束するか、答えである共認回路に収束するかになる。
ではどちらに収束するのか?
私の会社では対面会議の欠陥(10134参)から社内ネットを活用するようになりました。
社内ネットに投稿するには自我丸出しでは出来ません。又、事実に則さない投稿も同じです。今までの優等生の答え=自我をオブラートで包んだ響きの良い投稿も皆の共感を呼びません。これは常に皆への発信をするには自我を意識せざる得ないからであり自我を封印する構造に他ならないからだと思います。
今はその自我に皆が対峙しつつ、その構造を一つ一つ確認している段階です。そして一人又一人とその自我の有り様を捉え、発信していっています。これは、残り続ける自我の封鎖行為であり、皆の潜在意識=共認充足への可能性探索です。正に共認回路の再生そのものです。
ならば、残り続ける自我収束とは無縁で真っ直ぐに共認に向かう。と、確信した次第です。
これが本日のネットサロンでの会議で得た最大の発見です。 |
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