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スンダランド海洋航海民の誕生 |
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麦秋 ( 34 東京 ) |
01/09/11 PM11 【】 |
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スンダランド周辺の人類については、考古学的な検証もかなりすすめられているようです.
■約5万年前頃スンダランドの海岸地域に、海洋適応戦略を成功させた新人段階の旧石器人が定着していました.かれらは東南アジア内陸部の熱帯雨林に展開した「礫器文化」に対峙するように、海岸や島嶼部を拠点に「不定形剥片石器文化」とよばれる文化を発達させます.この文化は、磨製石斧片、チャート製の台形状石器、スクレイパーに特徴をもち、九州島から列島内部に展開される「ナイフ形石器」が伴出しない特徴を持つとされます.
おそらく筏(竹か)などの渡航具を使用し、河川・海洋資源を主な生業とした漁撈・採集民であったと考えられています.彼らは、最寒冷期に向う気候変動の過程で生じたスンダランド地域の海進と海退の環境変動に促される形で、黒潮海域を活動の場として、外洋航行にも順応できる「海洋航海民」に成長していったと考えられています.
■新人最初の渡海による拡散
海を渡った旧石器人として世界最古のものは、約5万年前頃東南アジアのスンダランドからオセアニアのサフルランドヘ移住した旧石器人集団が知られています.かれらは目視できる島々を伝って渡海・移住し、新天地を第二の故郷としてメラネシアの島々に拡散・定住し、今日まで生活しています.(不定形剥片石器文化)
■黒潮の道にのって:約3万2千年前頃、東京・武蔵野台地の旧石器遺跡から、約180Km南の太平洋上に浮かぶ伊豆諸島・神津島産の黒曜石を使用した石器類が発見されています.本州島(伊豆半島)と神津島の間には海深200m、幅30Km以上の海が横たわっており、この島の黒曜石を入手するには渡航具(筏、丸木舟)を使用した海上航行が必要であったと考えられますが、この神津島の発見者は、黒潮海流を北上してきた新期(後期)旧石器時代人ではないか、という説があります.
かれらは琉球列島を経由して、種子島や四国・本州島の太平洋岸地域を遊動拡散してきた新人集団と考えられています.種子島の立切、横峯B遺跡(約3万年前)、東京の西之台B、中山谷遺跡(約3万5千年前)で出土した礫器、大型幅広剥片石器、錐状石器、クサビ形石器、磨石、敲石などの「重量石器」を特徴としている。同様な旧石器群は、ベトナム、香港、台湾島などにも分布が認められています.(南方型旧石器文化)
田野さんや小寺先生などの投稿にもあった「港川人」が発掘された沖縄では、琉球石灰岩地域が広がり、更新世(≒旧石器)化石人骨が8カ所から確認されています.港川人(約1万8千年前)だけでなく、沖縄本島の山下町第一洞人(約3万2千年前)、、宮古島のピンザアブ洞人(約2万6千年前)などが挙げられます.しかし残念なことに、沖縄の旧石器人骨発見地点からは、確かな「旧石器」の出土がありません.
※初出文献『日本人と日本文化』ニューズレター,2000,文部省科学研究費特定領域研究「日本人および日本文化の起源に関する学際的研究」(事務局:国際日本文化研究センター内、尾本プロジェクト室 |
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