>それら闘争系の諸機能(本能と呼んでも良い)は、全て生殖(原初は分裂)の為にあるという点である。生殖の為の闘争というこの関係は、生命の骨格を成す最も重要な原理の一つだと、云えるだろう。
有性生物においても、この原理は貫徹されている。まず雄に、淘汰適応の必要から性闘争本能が形成される。それに対して雌は出産・育児時の安全や食料の確保の必要があるので、雄のヤリ逃げを防ぐべく閂本能を形成する。つまり、安全と食料を保障してくれる雄に対してのみ閂を解除するという本能である。こうなると雄は、雌と交わる為にはまず縄張り(種によっては巣までも)を確保しなければならなくなる。(実は、ヤリ逃げを防ぐには、もう一つ、雄に生殖期間中の庇護本能もセットする必要があります。)つまり、性闘争本能の次に縄張り本能が形成され、かつ両者は連動しています。(1535)
雌雄関係を考えるときに、現在のみんなの不全・期待が社会不全ということを考えると、どうしても、(自分自身)闘争系の課題に目が向きがちで、その根底に性=雌雄関係が有ることは、つい忘れがちになっていると思った。
>それに対して、ある程度発達した原猿は、オスメスが同居しています。言葉を変えると、生殖期間以外も恒常的な庇護依存関係が成立しています。(中略)
次に問題となるのは、この違いを生み出した原動力ですが、
>>彼らは恒常的に飢えの苦痛に苛まれ、いつ襲ってくるか分からない敵=首雄の攻撃に怯えながら暮らしていたが、それらの極度な不全感が生命の根源を成す適応欠乏を強く刺激し、生起させた。
(実現論1_4_04)
>これは弱オスたちが陥った不全状態ですが、逆に原猿の首雄が直面した不全は、縄張を持てない弱オスたちが恒常的に縄張を侵犯するというものです。それは性闘争の本能に基づくものであれば、発情期間中だけの闘争で済むし、かつ一度退けた敵は敗従本能が働くが故に、しばらく向かってきません。つまり弱オスだけではなく首雄が陥ったのも、本能を超えた不全だったと考えられます。(中略)
つまり、いずれも本能では対応できない不全に直面したが故に、本能を超えたオスメスの有り様(存在様式)を選び取った。だからこそ、このオスメス関係を生み出した吸引力は、本能を超えた雌雄共認が生んだもの、と確かに言えるのではないかと思います。(81625)
雌雄分化を考えた場合、雄=闘争存在、雌=充足・生殖存在という役割分化の事実に加え、雌雄和合共認があってこそ、外圧適応態である。そう考えると、雌雄関係という、闘争集団にとって最も遠いと考えられていた関係も、収束不全→みんな答えを求めているという状況、女性の社会進出等の状況を考えると、変えていける可能性基盤は形成されてきていると思う。 |
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