>「存在不安」は、私権時代の全ての宗教・全ての局面に存在すると私は考えています。キリスト教においても、仏教においても、人々が求めるのは「救済」です。神の御座に祈るのは、魂の救済であり心の安楽であるのは洋の東西を問わず変わりません。これこそ、私権社会の宗教が「存在不安」を抱えている証ではないでしょうか。
昔は、
>自我を基盤に宿した私権社会故の 過剰競争・自我摩擦・搾取等の不条理からの逃避、そして「死」への恐怖
から逃れるために、宗教を必要とした。
日本人ってもともと宗教信仰してる人って少ないのだろうけど、そんな中でも宗教を信仰してる人ってどんな人だろう??
今は、収束不全の世の中で、みんな不安。安心したい、規範がほしい。
だけど、答えがない状態。
その中で「めちゃ不安!!」状態になった(不全をなんとかごまかなきゃ生きていけない?)時に、宗教に出会った人が信仰してるに過ぎない?
そう言えば、うちのおばあちゃんもおじいちゃんが結構若くして死んでから、宗教に入って毎日朝晩、お経読んでたなぁ・・と思い出した。
でも今思えば、宗教って「こうあるべき」みたいな規律があって、それに則って生活するっていうと、なんとなく楽だったんじゃないかって思う。
日本人はもともと精霊信仰で、神様と仏様の区別だってはっきりしてないのだから、「答え」さえ知れば、宗教というただのゴマカシなんて、すぐになくなってしまうんだろうなぁ。
存在不安であれ、収束不全であれ、ゴマカシでは解決できない。
なんでこうなったのか?、じゃあどうすればいいのか?を事実に基づいて追求できる「概念装置」の必要性、そして、「規範」の重要性を改めて感じた。
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