>対面共認は、互いに顔の見える範囲の単一集団においては、(他に移れる集団など存在しないことも相まって)十全に機能していた。しかし、集団と集団がぶつかり、ひしめき合う複層社会では、集団が抱える課題の難易度(or未明度)が高くなると共に、成員間に課題意識の温度差が生じる。
それでも序列圧力が強ければ、上意下達という形で、対面共認はそれなりに機能する。(101337)
会議における「根回し」というプロセスに長年違和感を持っていましたが、それなりに必要だったんだと得心がいきました。成員間の私権意識を何の準備なしに統合しようとすることが極めて難解であること。事前にしかも個別に相手との取引関係を結ぶ(前もって開示するだけでも相手の私権意識を充足させる面はある)ことで会議の運営はスムーズに進んだわけですが、裏では無数の(共認されない)取り決めがされていたことでしょう。正に本音と建前の世界です。
しかし、その会議では序列(秩序)の維持は果たせても、本来の議案(中味)の徹底的な追求、根本的な構造解明には向かわなかった。その、累々たる積み重ねが社会の諸問題現象と閉塞状況を生み出したとも言えるのではないでしょうか。そして、集団内の共認手段がNETに開放され、序列を超えた中味の追求に向かえたとしも、それが社会課題に対する構造化を実現して初めて集団成員の充足につながるのだろうと思います。
>おそらく社内のネット会議は、「答えを出せる」もっと広い社会的な統合サイトとリンクして、はじめて十全に機能するのではないかと思う。(101337)
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