>だとすれば、新しい演場、とりわけその中核を成す『認識形成の場』自体が、私権の現実(国家や市場)の真只中に乗り込み、内部から私権世界を解体・再統合しながら、突き抜けてゆくしかない
これまで社会活動といえば、お金とは切り離されたものとして行われてきた。慈善事業、NPO、ボランティアetc。旧くは宗教を含めて、これらの社会活動はお金を”悪しきもの””社会活動とは相容れないもの”として否定してきた。
だが、このようなお金に対する考え方は、私権社会という現実に身を置いておきながらの、そのアンチとしての価値観念でしかない。その証拠に、どのような社会活動においても、実際の活動にはお金がかかり、何らかの手段でその資金を調達している。そして、その実際の姿を認めない欺瞞性にも、それらの活動が実現しなかった要因があると思う。
次代を担う真の社会活動は、現実に立脚する。現実社会(市場社会)での実現の条件は、事業として成立することであろう。言い換えれば、事業としての社会活動だけが、実現基盤を持ち、リアリティーを持って人々を引きつける。
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