共同体社会の実現
1 『るいネット』開設
 
岡田淳三郎 ( 60代 経営 ) 01/02/01 PM00 【印刷用へ
今、社会は全面閉塞に陥り、誰もが「出口が見えない」「答えが欲しい」と必死に突破口を探している。つまり、誰もが目標を見失って、答えを探しており、それは、もはや自分だけの課題ではなく、みんなに共通の普遍的な課題になってきている。

実際、家庭も、学校も、企業も、国家も、それぞれに深刻な問題を抱えて行き詰まり、今や目標を失ってフラフラと迷走しているだけである。では、人々が目標を見失い、社会がここまで閉塞してしまったのは、いったい何故なのか?

それは、(先進国では)'70年頃に貧困を克服してしまったからである。それまでは、人々は飢えの圧力(=生存闘争の圧力)に晒され、飢えから逃れるために、必死になって働いた。生存闘争の圧力の下では、成員は序列原理(力の強い者に弱い者が従う仕組みで、徹底した力の原理とも言える。殺し合いを避ける本能の仕組みで、人類社会の身分制度も、これに基づいている)によって統合される。そこでは、誰もがいい大学(身分)、いい生活(お金)、いい女を、つまりは序列格差の旨味を求めて争う。そこでの身分やお金は、自分だけに所属する私有権であり、女(or男)でさえ自分だけの独占物である。その意味では、誰もが私権の獲得という目標に収束することによって、集団や社会が秩序化され、統合されてきた、私権統合の時代であったとも言える。

しかし、'70年、飢えの圧力(=生存闘争の圧力)が消滅するや否や、序列原理(身分制度)は無効となり、それまで力によって抑え込まれてきた人々の意識は、一気に反身分⇒反差別⇒「人権」「福祉」などの観念に収束する。

現在、人々が心の奥で求めている本当にやりたいことは、みんなの期待に応えて反応充足を感じたいという辺りにある。おそらく次代では「出口が見えない、答えが欲しい」という『みんな期待』に応えることが、人々の一番の活力源になるだろう。

その為には、答えを求めて集団から離脱した人々が、みんなで共認形成できる場と新しい認識が必要になる。
 
しかし、出口が見えないということは、これまで人々に一方的に発信し続けてきた学者や芸術家やマスコミなどの専門家たち=発信階級の撒き散らす旧観念が、全く役に立たないということである。現に、社会が全面的な行き詰まりを見せているのに、彼らは未だに何の答えも出せないでいる。

何故か?彼ら発信階級は表現することでメシを喰っている単なる表現者であり、現実の圧力の真っ只中で生きる人々を外から眺める傍観者に過ぎないからである。現実から逃げて、発信階級の道を選んだ只の傍観者に、現実の真の姿が見える訳がないし、現実に使える認識を生み出せる訳がない。

それだけではない。実は、古代宗教や近代思想に代表される旧観念の深層には、現実からの逃避ベクトルが深く刻印されている。それは、私権闘争が必然的に生み出す戦争や支配や貧困などによって、現実世界が否定すべき「苦」の世界としか感じられなかったからである。しかも、万人が私権を共認し、誰もが私権の獲得に収束している以上、それによって作り出された現実世界を変革することは不可能である。だから実現不可能視を刻印された知識人たちは、現実の中に可能性を求めるのではなく、頭の中だけに閉ざされた充足を求める(当然それは決して実現されることがない)倒錯思考に嵌り込んでゆき、こうして現実(の自分や人々)を非充足のまま放置して頭の中で代償充足を与えるだけの観念=神・恋愛・自由・個人・人権などの架空観念(現実には存在しない、頭の中だけで作られた観念)しか生み出してこなかった。

言うまでもなく、誰も実際には(つまり、頭の中だけではなく下半身も含めて)現実を否定することなど出来ない。
ところが、私権時代の旧観念(宗教や思想)は全て、この異常な現実否定意識に基づいて作られている。その証拠に、これまで現実を否定する意識は、常に暗黙の内に正として意識され、現実を否定する意識そのものを疑うような意識は、全く登場してこなかった。例えば、「我思う(デカルト)」ことそのものに対する懐疑(例えば、全てを疑う自分がおかしいのではないかという疑問)は、針の先ほどの疑問さえ全く生じ得なかったのである。これは、現実否定→倒錯思考が、私権時代を貫く思考のパラダイムである事を示している。  
 
しかも、現実に背を向けたその狂った観念が、人々の頭の中を支配してしまっている。その結果、人々が何か物を考えようとしても、その観念を足がかりにするしかないので、考えれば考えるほど狂った観念世界に嵌り込んでゆき、まともに物を考えることが出来なくなる。だから、まともな人々は、むしろそんな観念など見向きもしなくなり、物を考えることまで止めて終った。全般的な思考停止である。

この社会は、人々の共認によって成り立っている。従って、共認形成こそ、社会形成の生命部である。だが、その共認形成が発信階級によって支配され、しかもその中身=観念が狂っているとしたら(そしてその結果、普通の人々は思考停止状態にあるとしたら)、社会は全面閉塞に陥るしかない。

現代社会の至る所で噴出する異常現象は、全てこの異常な現実否定→倒錯思考の観念パラダイムが生み出したものであると言っても過言ではない。しかも、その旧観念は、新しい可能性の出口を塞ぎ、人々の活力を奪い取ってゆく。従って、知識人が撒き散らす旧観念こそ、この社会を全面閉塞させた真犯人なのである。
 
今、求められているのは、旧観念とは逆の、現実直視→実現思考に基づく全く新しい認識である。それは、夫々の仕事に従事しながらこの現実を生きる『みんな』=普通の人々によって生み出される。傍観者ではなく当事者として現実を生きる普通の人々の実感と、それに基づく徹底した事実の追求だけが、現実に使える認識を発掘してゆく。

ただ、現実(=この時代)は複雑で、自分一人で考えても見極められないし、判断を誤る危険もある。何より、一人で考えても、活力が出てこない。だから、認識の必要に気付いた皆で、現実に使える認識を紡ぎ出してゆく場があればいい。『るいネット』はそのための場である。
 
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