勇士(戦士)と婚姻の関係事例として「マサイ族」を紹介します。現在では観光化され、集団はかなり変貌しているようですが、以下に紹介する内容は、マサイ社会の有力な長老オレ・サンカンが、学校教育その他の風評によってマサイの諸慣習が失われつつある若い世代に、伝統・部族としての一体感を伝えたいという意図で1971年に著したものからの要約で、変貌する以前の様子を伝えるものと判断します。
@生活形態
ケニア南部〜タンザニア北部の高原乾燥地帯に住む生粋の牧畜民。(マサイ=牛に活きる人)
A集団
部族連合体であるが、各部族は自立性の高い自治組織で、固有の年齢体系に基づく制度によって統制をはかり、自前の武力組織を保有する。マサイは、火と剣で全てを滅ぼす戦士として恐れられており、牛が不足すると牛群を持つ他民族を襲撃する(神話に、地上のすべての牛は神からマサイに与えられたとあり)。飽くなき蓄財欲から、内部でも部族間の抗争が絶えず、部族の消滅や吸収を繰り返してきた。大きな闘いに際しては、預言者の指示が強い影響力を持つ。敵の集落では、男を殺すことはあっても、女や割礼を受けたばかりの若い男を殺すことはない。戦利品は、偵察要員、入社組の役職者、より多くの敵を殺した者、青年集落リーダー、その他の順で参加者全員に分配される。
B社会制度
戦闘能力を持つ少年がある一定の数に達すると、長老たちによって割礼式の挙行が決定され、各地域から集まった少年たちは、儀式用の小屋で4日間踊りを踊り、最後に牛が屠殺される。この期間中に選任される入社組(エイジグループ)長は、以降入社組を指導する役目を担い、同輩に対して強い拘束力を持つ。1〜2年後、第二の儀礼として、素手で去勢牛の角を掴み、引き倒して力を誇示する儀礼を行った後、自分たちの集落に戻って実際の割礼を受ける。その後剃髪の儀礼を契機に、"下級青年"になり、槍と楯の携帯を許される。下級青年たちは、青年村と呼ばれる新しい集落で、外敵から土地を守る自衛戦士として何年かを過ごす。次世代の者にその役割を引き継ぐ時期になると、"青年昇級式"が行われ、この儀式で選任される"植樹役"が、入社組の同輩を代表して最初に結婚する役割を担う。儀礼の最後に植樹役が妻にする女を選ぶが、別の男と既に婚約している等の婚姻上の諸慣習は無視される。以降、同輩達の結婚も正式に許可され、飲乳式の儀式を経て、制度上は長老の身分となる。
時期をずらして組織される2つの入社組は、ある時期になると1つの年齢組(エイジセット)として編成され、成員は対等の権利と資格を有し、住居、妻を共有することができる。
C婚姻
一夫多妻。女性は結婚に際して割礼を受ける。氏族内通婚は禁止。他民族との通婚は、男性のみ許される。第一夫人を迎える手続きは・・・、男が見初めると、首飾りを贈り、娘の両親に結婚の意思表明として少量の蜂蜜を送った後に、大量の蜂蜜と牛乳を送る。結婚の申し入れが受け入れられると、男は娘の両親に心付けの品物を贈り、式の当日、2頭の牝牛と1頭の去勢牛、2頭の牝牛と1頭の子羊、1頭の牝山羊を婚資として持ってくる。正式な手続きをふんだ結婚では、妻側の離婚要求は認められず、話し合いによって離婚成立の場合も、妻は婚資の牛や羊を返却する。
D相続
父親が死んだ場合、長男が遺産と債務を全て引き継ぎ、その後弟に分配。母親の老後の面倒は、末息子の義務で、母の遺産は全て末子が相続。
E罰則
家畜泥棒は、同種のものを5〜9頭支払う。但し女は直接制裁を科せられることはない。殺人罪は49頭の牛で償う。伝統的にマサイが女を殺すことはないとされているので、女を殺した場合の罰則は定められていない。誤って殺した場合には、贖罪の儀礼を行い、死者の呪いが乗り移らないように身を清める。
母系制では末子相続が一般的であること、闘争力を高めるための男の明確な階層制(それに準じる婚姻資格)などから、牧畜民のマサイ族のこの事例は、母系から(同類闘争圧力の上昇を受けての)父系への転換期(混在期?)を示しているのではないかと思います。
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