>■6.【2〜1万年前】シベリヤから、樺太〜北海道を地続きに南下し津軽海峡を渡って青森に辿り着く。≪ここが北方適応か否かのポイント≫
これについてはこのような説があります。最近、発掘された縄文人の人骨からミトコンドリアDNAを抽出し、それを世界各地の人々と比較する研究が行われているそうです。その結果、20数体の縄文人のミトコンドリアDNAの内、17体がシベリアのバイカル湖周辺に住むブリヤート人と同じだということがわかった。南方の人々と同じDNAは数体しかでていないのです。
> ■5.【2.5万年前】朝鮮半島を一旦南下し、半島南岸部から対馬を経由して本州、山陰地方沿岸部へ辿り着く。(後の弥生人の大量渡来と同じルート?)
これについても、それとは別に南方から海流を伝って来た人たちもいたと考えられています。鹿児島にある上野原遺跡は9500年前の遺跡ですが、そこから出る土器や石器には、南方系の特徴がはっきりと残っているようで、例えば石を磨いてつくった彫刻刀のような磨製石斧の丸ノミ。彼らはこの磨製石斧の石ノミで丸木船を造り、黒潮に乗って鹿児島にやってきた。沖縄では港川人という人骨が発見されていますが、同じような磨製石斧が一緒に出土していたようです。
そして、縄文人がこの日本に定住した理由としては、日本海に暖流(対馬暖流)が流れ込むようになったことが一番の契機だったと考えられているそうです。それ以前は暖流は太平洋側にしか流れていなかったのです。ところが温暖化による海面上昇によって、黒潮の分流が日本海に流れ込むようになり、二つの暖流に囲まれた日本列島は、温暖で湿潤な気候に変わり四季が生まれたそうです。落葉広葉樹林帯や照葉樹林帯が日本列島を覆い、ドングリやクリを採集できるようになったようです。それ以前の日本列島はもっと乾燥していて、草原が広がっていたようですが、暖流が日本海に入ったおかげで、今に残る白神山地のような豊かな落葉樹林帯が生まれたというわけです。それが縄文人の定住を可能にしたと考えられているそうです。
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