マスコミに支配される社会
84895 本源時代・私権時代の芸術史観と次代の芸術
 
西谷文宏 ( 26 建築設計 ) 05/01/30 PM11 【印刷用へ
■「感謝」の表現だった、本源集団の芸術・芸能

少し前、南太平洋(ミクロネシア)の無人島を訪れた際に、人がとても行けそうにない断崖絶壁に先住民による太陽と海と女性の壁画(年代測定によれば紀元前のものらしい)が書かれているのを見ました。

太陽と海と女性・・先住民の壁画や土偶などによく使われるモチーフですが、そこには一体どのような思いが込められていたのでしょうか。

僕は、その思いは「感謝」ではないかと、その壁画を見て感じました。光と生命の源の太陽、そして生命を生み出す女性、食料などの恵みを与えてくれる海・・・それらに対する感謝の念を壁画と言う形で表したのではないでしょうか。例えば、日本の縄文土器や土偶、また未開部族の踊りなどにも同じような「生命への感謝」を感じます。

本源集団にとっての芸術や芸能とはまさに「感謝」の表現に他ならず、その「感謝」をみんなで共感・共認し活力に繋げていく方法論であったのではないかと思います。(恐らくそこには現代的視点から見た「芸術や芸能」と言う意識は全くなかったと思いますが)

そこに込められた思いが「感謝」であるからこそ、共認機能のさび付いた現代人にも何か訴えてくる熱いものがあると言えるかもしれません。

■「旧観念」の表現としての、私権時代の芸術・芸能

>近現代につながる芸術の源流は、イタリアルネサンスにあります。
それまでのヨーロッパ中世の芸術はキリスト教色の強いものでしたが、ルネサンスが転換点となって芸術が発達していきます。(83256

中世までの社会における芸術は、宗教的世界観(とその支配力)を表現する為のものでした。ビザンツ・ロマネスク・ゴシックなど様式が変わってもその根本的意識は全く変化しておらず、ひたすら「神の世界(苦のない世界)」と「現実の苦」を芸術は表現してきたと言えます。(これは西洋社会に限った話ではなく、インド・中国・日本でも同様です)

このような宗教的世界観を表現してきた芸術は、冨田さんの指摘するように、ルネッサンスを起点として人間的世界観=「個人の自由」を表現する方向に転換して行きます。

その後の芸術世界は「個人主義」をその根幹として、益々個人の価値観や思想性を重んじる方向へと偏重して行き、最後にはわけのわからない個人の精神世界を描いたものが「芸術」としてもてはやらされるようになりました。
近代思想が世界に広まったことに付随して、このような芸術観が世界に広がり構築されていったのが、現代的な芸術世界だと思います。

個人の精神世界(しかも往々にして不全世界)をひたすら描いた芸術は、全く同化対象となりえず、「よくわからない」「なんかきもち悪い」というような印象を誰しもが感じているのではないでしょうか。

私権社会における芸術とは、宗教世界をその初めとして、ひたすら「旧観念」をもとに構築されてきたと言えると思います。そして旧観念が宗教観念から近代観念に塗り換わったように芸術・芸能の世界も塗り変わった。その転換点がルネッサンスだったのでしょう。
言い換えれば、現代的視点から見た「芸術」とは、その時代を観念支配している「観念」を表現したものと言えると思います。

同様に、70年に貧困が消滅して、旧観念が全く現実の役に立たなくなったのと同時に、このような「旧観念」をもとに描かれた芸術は、全く心に響かなくなった。それが、現代の芸術の低迷の最大の原因だと思います。つまり、一言で言って、完全に「旧くなった」と言えます。

■「次代の芸術」とは?

既にるいネットやなんでやが実践しているように、新しい時代の可能性を開くのは、古臭くなった「旧観念」ではなく構造認識=「新観念」です。旧観念に拘っている限り、いつまでたっても現代の閉塞状況は突破できません。

これは、芸術においても全く同じだと思います。「個人の自由」と言う旧観念をその表現対象とした為に、完全に閉塞しきった、現在の芸術世界。その突破口、新しい可能性を開いていけるのは、やはり「新観念」だと思います。これまでの芸術が「旧観念」を表現してきたのに変わって、これからの芸術は「新観念」を表現していく。そこに突破口があると思うのです。

では、「新観念を表現した新しい芸術」とは一体どのようなものなのでしょうか。それは、一言で言うと、人に活力を与える、人に充足感を供給する「芸術」だと思います。より具体的には、本源集団がそうであったように、「感謝を供給する」芸術と言えるのではないでしょうか。

なんでや露店は、お題やなんでやカードを通して、「感謝」=肯定視を広げて行っています。また、るいネットの認識の中でも、「感謝と謝罪のトレーニング」が提示され、日々認識仲間が実践しながら、錆び付いた共認回路の再生に取り組んでいます。

「新認識」を表現した芸術も、やはりこの共認回路を再生し、人に活力を与える「感謝」を表現したものとなるのだと思います。(もっとも、本源集団において「芸術」と言う観念がなかったように、もはやそれは現代的視点における「芸術」と言うものとは、少し違うのかもしれませんが・・・)
そういう視点で考えてみれば、なんでや露店で供給している「なんでやカード」はそのような次代の芸術の一つの姿と言っても過言ではないかもしれません。
 
 
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